コラム_11~20
Note 011 「グラレコの存在意義」2024年8月3日(9:52)
あれが嫌い。グラフィック・レコード(略してグラレコ)ってやつです。
会議なんかをしたとき、それをチャチャっと挿絵でまとめて「今日はこんなことを話しましたね〜」と言うのを共有するやつです。
一種のパフォーマンスであるし、分かりやすくするために、ピックアップした要点が浅い。
そしてこれが一番大事なことですが「会議の感想は同じではなくても良い」のに、「何だか良かったよね」を強要されるところ。
(少なくとも私は同調圧力で、強要されていると感じる)
全くもって害悪でしかないと思っているのですが、ふと、存在意義が分かった気がしました。
それは会議にいる人、皆が「理解しようと思ってそこにいない」ので「分かった気になりたい」「その場が何だか良ければ来た甲斐がある」といった具合なのではないか。
特に、行政の予算ありきの会議は報告書さえ見栄えが良ければうまく予算が使えたことになる。
まぁ会議なんてのは、議題が違えど同じフレームに落とし込んでるものなので、大体が既に見えている状態で始まっているので、丸く収めるのにもちょうど良いのだろうと思いますし。
以上です。
どなたかこのコラムをグラレコしてみませんか。
Note 012 「パクる人とフリーライド」2024年8月3日(10:10)
まずはパクる人。
以前、ギャラリーに来た男が「作家が作る張子面は時間がかかるし高い」と言うクソ野郎がいた。そのくせ、そいつら(男女ペア)は「作家」を名乗りながら「大量生産品の張子面を購入している」と自分で言っていた。もう、アホなんだと思ってやり過ごすことにした。今思えば、何か一言言って出入り禁止宣告をしたら良かったと思うが、呆気に取られて言葉が出なかった。
次にフリーライド。
タダなら、もらえるだけもらっておこうと言う輩。わかりやすい例で言うとフリーペーパー。そのフリーの部分にだけぶら下がっておいて、その代わりにやってもらいたい部分をふわっと無視する(フリーペーパーはお客さんに見えるところにおいて欲しいとかね)。これに限らず、ある程度の性善説のもとに行う事業には、必ず出てくる。無料のものは無料では作れない。でもそれが伝わらない人がいる。
この二つに共通して言えることは、作る人へのリスペクトが欠けているということ。
私のやり方が悪いから、その隙を与えてしまうのかもしれない。そんなことに出くわす度、こんな人らと同じ次元にいてはならない。と強く言い聞かせ、前に進む。
Note 013 「年老いて得るもの」2024年8月3日(10:21)
先日、とある旅行客のマダム(70代)と話をしていた。
とても暑い日ということもあり、体調や年齢、老いの話となっていった。こうなるとネガティブな話がどんどん積もっていくばかり。
そこでふと「逆に、歳を重ねてみて、良かったな〜ことって何かありませんか?」と聞いてみたところ、
「あるわよ〜。例えばそうね、、、悩むことがなくなるわね。」と答えてくれた。
これを聞いた私は、しばらく暑さを忘れて笑っていた。
同時に、かなり衝撃を受け、少し救われた気がした。悩みがない状態なんて無敵やんか、と。
いつかそんな境地に立てるのであれば、悩めるうちに悩んで頑張ろうと思えた。
Note 014 「金太郎飴の呪い」2024年8月20日(22:56)
深い意味もないイラストとか絵とかをデコレーションアートと呼ぶとかで(それにアートという言葉を使うかが適切か別として)。
そういうのを描く人って、割とずっと全く同じイラストを描いてたりする。自分のコピー。金太郎飴。
そういうアカウントは基本的にミュートやブロックして視界に入れないようにしてるんですが、時折他人のSNSとかで流れてきたら、うわー、この人ってまだ同じ絵を描いとんや。って思ったりする。もうええやろ〜、コンビニでコピーしといで〜、って思う。
売れるから全く同じ絵を描き続けているのかも知らんけど。自分の作った呪縛に負けてるだけか知らんけど。作品つくりは人それぞれなので別にええけど。
奥行きもない同じイラストを何年も描き続けていたら、私は退屈する。確実に、退屈する。発狂する。
ドラマが変わっても、ずっと同じ演技をする俳優さん(アイドル?)がおるやないですか。
あれと同じですわ。好きな人は好き。おもんないわー、思う人は見んかったらよろしい。
作風って、変わってもええと思うし、自分が未知数なら楽しいと思う。
Note 015 「デザインに鮮度はあるのか」2024年11月10日(22:53)
結論から申し上げると、あると思います。
生鮮食品のように、デザインにも鮮度があると思います。特にロゴとか。
どういう意味かというと、「なぜこの商売をしようと思ったか」「なぜこの店をしようと思ったか」という、こういう最初の気持ち(鮮度)をデザインに反映させて欲しいと思うのです。
そのような最初の気持ちで作ったデザインは、見るたびに初心に戻るきっかけを与えてくれますし、永く商売をしていく上で大事だと思います。
あと、その鮮度で作ったデザインは、時代を問わずに残りやすいです。
人間はいい加減な動物なので、数ヶ月あれば、考えていることだって変わってしまいます。
直感的に良いなと思っていたデザインも、あれこれ考えているうちに何が何だかわからなくなったりしますし、いろんなものを取り入れてこねくり回したデザインは風化しやすいかなとも思います。
鮮度とか、勢いとか。わりと大事。
というわけで、よっぽどの長期案件でない限り、1ヶ月を目安に納品をさせていただきたく思います。よろしくお願い致します。
ちょっと真面目なコラムでした。
Note 016 「何でもかんでもアートで片付けて良いの?」2024年1月18日(23:19)
昨今、「アート」という言葉が安売りされている。巷に溢れているちょっとした物でも「アート」と呼ばれている。それで良いのか。
本来、アートは崇高なものであるはずで、その辺でチョチョイとできるもんではない。
・・・なんて言ってると頑固なおじさんになりそうです。しかしながら、便利に使われている「アート」という言葉が心に引っかかってしょうがない。
だから私は考えをまとめ、ここに記すことにしたのである。
そもそも、なんで引っかかるかというと、わりと異質な存在が「アート」という便利な言葉で、ひとくくりにされているからだ。
異質というのは、技法や流行の違いではなく、動機の部分の違い。その動機ごとに、きちんと自分の中で分類をしたい。
そうしたらきっと、少し優しくなれる。
少し生きやすくなる。
そんな気がするんです。
というわけで本題。まず、こちらのメモを見てもらいたいです。
一般的に「アート的なもの」とされるものを、「アート」という便利ワードを使わずに4つに分類してみました。
①自己表現
②啓発・問題提起
③デザイン・問題解決
④工芸・造形美
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①自己表現はアートの一部??
アートの翻訳が「芸術」であり、現代の芸術の多くが「自己表現」となることもあり、一般的な解釈としては、この自己表現がアートと呼ばれるものなのでしょう。自己表現とは、自分の内側から出てくるエネルギーを好きなように表現することです。そこには、単に絵を描きたいとか、絵が楽しいとかが動機になっているのではないかと思います。セラピーとかに近いかな。多分、私はこの①が、次に紹介する②と一緒くたにされて「アート」と呼ばれるのに違和感があったのです。
②自己表現型と問題提起型の違い
一般的にアートと呼ばれる表現の一部に、「問題提起」をする表現があります。バンクシーさんなどを例にすると分かりやすいと思います。作品にメッセージがあり、問題を取り上げて「これってどうなん」を伝えています。ただ単に作品が美しいものを描きたいとか、描いてると楽しいとか、という自己表現的な動機ではなくて、作品が発する力のエネルギーの矢印が、明確に、社会のある一定の方向へ向かっています。先述の、自己表現型の①の場合、エネルギーの矢印は、自分を中心にしてあちこちに向かいます。ここが大きな違いかと思います。ちなみに私はこの②の表現が好き。というか②だけがアートと呼んで良いものだと思ってました。さーせん。
③デザインとアートは違うよ!
これはデザイン関連の仕事をされている方の間で、よく議論されると思います。デザインは、課題を抱える相手からの依頼があり、その課題を解決する行為です。デザインの訳は「設計」であるので、そう考えると分かりやすいと思います。「商品が売れないので、商品の良さが伝わるようなパッケージに設計(デザイン)する。」という使い方をします。「商品パッケージをアートする」とは言わないと思います。つまりデザインとアートは別物であり、なんならアートはアートとして成り立つように設計(デザイン)することができると思います。こんがらがる?
④工芸や造形美はアートか??
工芸は、英語では「クラフト」と呼ばれるものです。また、造形美は、宗教画とかをイメージすると分かりやすいと思います。工芸や造形美を突き進めると、アートの域まで達するという概念があります。「もはやアート」みたいなニュアンスで、「やばい」みたいな使い方でしょうか。アートって便利な言葉ですね(笑)。工芸や造形美には、それ自身が投げかけてくるメッセージや、問題解決は含まれていないことが多いです。④は、空手で例えると、型がめっちゃ上手い、みたいな感じでしょうか。それを何かに使う、と言うわけではなく。
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以上の4つです。
①は、エネルギーが自分から発光してる感じ。
②は、エネルギーが社会へ向かってる感じ。
③は、エネルギーが相手に向かってる感じ。
④は、エネルギーが物に込められた感じ。
正確には、このどれかに当てはまるわけではなく、これら4種がグラデーション状に混ざっていて、どれかが突出している、というのが現状かなと思います。かくいう私は、この文章を書く前は、頑固になっていました。アートの定義が「問題提起」だと思っていたので、②だけがアートと信じていました。しかしながら、まとめて描いてみると、まぁこういうのもあるよね〜、と少し優しくなれた気がします。
ですが、冒頭に申し上げました通り、何でもかんでも「アート」と呼ぶのには抵抗があるので、先ほどの4種類の呼び方を決めておきたいと思いました。
①自己表現型のアート
②啓発型のアート
③デザイン(これはアートというかデザイン)
④職人芸型のアート
そのままですが、わかりやすさも優しさかな。
他にも良い言葉があったら聞かせてください。
2024/01/18
Note 017「ずるい投票を」2025年1月6日
選挙で投票したい政治家がいないからといって、意思表示として、投票へ行かなかったり、白紙で入れたりする人がいる。
いやいや、ちょっと待って。
政治家がアホなのは今に始まったことじゃないんだから。
政治家ずるいものです。だから、投票もずるくあって良い。
あなたに票を入れますよ〜言うてて、違うのに入れてもオッケー。
こいつ調子乗ってるな〜ってのを一回落とすような投票でもオッケー。
消去法で選んだ候補にとりあえず票を入れておいて、次の選挙ではそいつを責任持って落とすような投票でもオッケー。
それで良いと思うのです。白紙で入れたり、投票行かないのは、責任放棄。
目には目を。ずるい政治家には、ずるくやれば良いと思います。
Note 018「バチバチすんな」2024年11月16日
時々、相手とバチバチぶつかりながら作っていくタイプの人がいる。
というか、最近それを自慢げに言う人がいた。
バチバチしながら作る人は、平気で急にデザインの変更を言ってきたりする。バチバチしたらいいと思っているから。
私は、できることならバチバチしたくない。バチバチせんと作れないようなものは、作らなくていいと思う。
余裕を持って打ち合わせをし、余裕を持って準備をして、話し合いながら修正しながら完成させていく。
それで良い。良いものを作るのに、バチバチは必要ではない。
それに、多分に、私は一度相手に敵意を持つと、心底相手を嫌いになってしまい、容赦なく潰しにいってしまう(これは私の問題。歳食ってそれも無くなったけど)。負けず嫌いだし、でもそういう自分を自分で嫌ってもいる。論破した後には、何も良いことが残らないことも知っている。
戦わずして過ごしたい。ただでさえデザインを出力するのに疲れているのだ。
そういうのでもう、疲れたくない。
Note 019「デザインは種。切り花と違う」2024年12月16日
最近、仕事でうまくいかずに考えたことなんですが。
ロゴとかのデザインって、種から育てていくようなものだと思うんです。
ここの種っていうのは、事業のコンセプトであったり、事業に対する想いであったり。
その気持ちを「種」にしたようなデザインを一緒に作り、事業と一緒に育てていくものだと感じているんです。
ところが先日。
ロゴデザインの案件で、「競合他社とか、名前が似たような会社のロゴを参考にして作って欲しい、むしろそのままでも良い」という依頼があり、それは色々とマズいと思う(そちらもこちらも)ので、あれこれと提案させていただいたのですが、どうも納得していただけず。
納期ギリギリになっても、他社のロゴを参考に送ってくる状態でした。
困った。この方はロゴデザインを「種」ではなく「切り花」だと思っているのだ。
なんだか良さげな花をちょちょちょいと選んで、なんだか良さげな感じにまとめたい。
そんな感じが見て取れました(余談ですが、オリジナルメニューと言っておきながら、やはり「切り花」的なメニューでした。。)
せっかくご自身の事業をするのですから、切り花ではなく、種から育ててみてほしい。
事業と一緒に育てて、他に見たこともない花を咲かせて欲しいと思うのです。
(ちなみにこの案件は頓挫しました。)
Note 020「害のないことの害」2025年1月20日
以前、某自治体での広報で、「風刺」という言葉に協議があり、「伏せ字」になったことがありました。
内容ならともかく、風刺という文字に規制がかかったのには驚きました。「風刺」という文字自体が、「害」と判断されたわけですね。
(伏せ字になったことで、ストライサンド効果(隠すつもりが、何を隠したんだろう、と逆に注目されてしまう効果)のようで面白かったので、まぁ良かったのですが。笑)
でもそれって、臭いものに蓋をした、免疫力がない世界を作ってないかなーと心配になりました。一見、キレイなように見える世界とか、みんながハッピーな世界ってあり得るのか? と。
「みんな」という便利な言葉にまとめられてしまう反対派。
最大公約数のハッピーの裏で、我慢をする少数派。
事なかれ主義が続くことで、我慢を強要される人。
一見、キレイなように見える世界。
それは、すごく、汚い世の中だったりして。
害のないものは、回り回って害になるのではないか、という話でした。